異音

小説書いていきます。

僕の奇妙日記 泣虫死神

九月三日。晴天。
いつも休日は昼まで寝ていることが多いのだが、今日は珍しく朝の八時に目が覚めた。目覚めがいい上に心地良い涼しさで、とても気分がいい。カーテンを開けると太陽の光が僕の部屋に降り注いだ。こんなに気分のいい朝は初めてなので、散歩に出かけることにした。
とりあえず近くの公園まで歩くことにしよう。足取りが軽く、歩きやすい。「早起きは三文の徳」とはよく言ったものだ、などと本当の意味も知らない諺を得意気に思い浮かべながら歩いていると公園に着いたので、ベンチでひと休みすることにした。ベンチに腰を下ろすと、電話をしているスーツ姿の男性が視界に入り込んだ。一旦、視線を外したが、僕の目はもう一度そちらを向いた。男性の後ろに何かいる。黒い物体が宙に浮いており、更にその物体は鎌を抱えているように見えた。
また今日も僕の日記に新たなページが加わるのか‥‥。
その物体を目で捉えてしまった瞬間、少し呆れ気味にそう思った。仕方のないことだ。きっとこれは運命というものなのだろう。
暫くすると、その黒い物体から何か音が聞こえてくることに気が付いた。ズッ‥‥ズズッ‥‥という気味の悪い音がする。その音の正体を考えていると、男性が僕の座っているベンチと五メートル程離れて設置されているベンチに腰を下ろした。少し近くなった距離から改めて見てみると、黒い物体は人と似たような形をしている。手で顔の部分を覆い、腰を丸めて体を縮ませている為、ただの黒い物体に見えたようだ。丁度、そのことを確認したとき、黒い物体が手を顔から少し離したのだが、手で覆われていた顔は二つに分かれており、右側はとても整った人間の顔立ち、左側は人間の皮を剥ぎ、筋肉や骨がむき出しの状態だった。
化物じゃねえか!
その言葉をグッと飲み込み観察を続ける。化物の癖にイケメンとは‥‥。その顔面偏差値を僕に分けてほしいものだ。そんなことを考えながら見ていると、化物が涙を流していることに気付いた。どうやら気味の悪い音は化物の鼻を啜る音だったらしい。
「殺したくない」
その言葉がすうっと耳に入って来た。化物の声のようだ。抱えている鎌に物騒な言葉。死神か何かなのだろうか。いや、死神が泣きながら弱音を吐くだろうか。ひと思いにささっと人間の命を取っていくのが死神というものではないのだろうか。
「何故、僕が死神なんだ」
‥‥死神だった。どうやら彼は死神のようだ。泣きながら弱音を吐くが、彼は死神なんだそうだ。
それから暫く観察していたが、彼は泣きながら愚痴や弱音を吐くばかりで恐怖感というものは全く感じられなかった。彼の独り言を聞く限り、男性は今朝トラックに轢かれて死んでしまう運命を閻魔様から与えられているらしい。トラックに轢かれた直後に鎌で男性を切らなければ魂は体に残り、死ぬことはないみたいだ。
男性は電話が漸く終了したようで、煙草を一本吸い、丁寧に携帯灰皿にしまってからベンチを立った。男性を視線だけで見送ると、彼が渡ろうとしている横断歩道に真っ直ぐに走っていくトラックが見えたのだ。信号は赤なのに止まる気配がない。男性は渡り始めた後に気付いたようで、途中で立ち止まってしまう。僕の体は反射的に走り出していたが間に合う距離じゃないことを頭ではわかっているはずなのに。トラックと男性の距離が二メートル程になったところで、死神が鎌を逆さに持ち替え、柄の部分で男性を押すのが見えた。トラックはそのまま道路を真っ直ぐに走行していく。慌てて男性の方を見ると、どうやら無事なようだ。転けて膝を付いた体勢で、何が起こったんだという表情をしている。死神はその後ろで、またやってしまったという表情で立っていた。
「大丈夫ですかー?」
男性に駆け寄りながら声をかけた後、すれ違いざまに死神の肩をぽんっと叩いた。
「よくやったな」
小声で言うと、一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに分裂した気味の悪い顔で爽やかなイケメンスマイルを見せられた。
「いやぁ、驚きましたよ。でも、怪我一つありません」
そう言って笑う男性に、よかったよかったと微笑んでから後ろを振り返ると、そこにはもう何もいなかった。
別れ際に「神様に背中を押されたようです」と言っていた男性を思い出す。
「貴方を助けた神様は今頃、閻魔様に怒られながら泣いているんだろうよ」
空を見上げながら僕は笑って呟いた。